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#28







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プロ野球勝利投手の条件



(Q)

プロ野球で、1―0で勝っているチームの先発投手が4回終了時点で降板しました。

この後、毎回投手が代わり、そのまま勝ったケースでは、だれが勝利投手ですか。



(A)

 公認「野球規則」に記載されています。10・19の「勝投手、負投手の決定」。

先発投手は、最低5回を投げきることが必要です。だから、このケースの先発投手には

勝利の権利がないことが分かります。また、2人以上の救援投手が出場したケースでは、

記録員の判断によって決められます。判断材料は、勝利に最も貢献した投球というものです。

 そこでパ・リーグの公式記録員に聞きました。3者三振など少しでもいい内容の投手に

勝利をつけますが、全く同じ内容なら2番手投手(5回)に勝利、最後の投手にセーブを

与えるのが慣例になっています。もちろん、1イニング以上の差があれば、

長いイニングを抑えた投手に勝利が与えられます。



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雷…「くわばら」唱え被害防止




 雷鳴と稲妻を神の怒りの表現と考えていたのは、多くの民族に共通しており、

わが国でも雷神は天上の神である天神の化身と考え、畏怖(いふ)の対象としていた。

天から降ってくる閃光(せんこう)は、稲を豊穣(ほうじょう)に導くという信仰もあり、

稲妻・稲光とも表現している。

 上賀茂神社として知られる京都の賀茂別雷(わけいかずち)神社は、まさに雷神であり

農耕神として信仰されている。民間では稲田に落雷があると、そこへ青竹にしめ縄を張って

祀(まつ)りこめる風習があるし、雷は降雨をともなうことから、水神の変化である蛇体で

あるとも考えられた。しかし一般には雷神の具体的な姿として、角をはやした鬼で太鼓をもち、

虎の皮のふんどしをしめた姿をイメージしているが、これは中国伝来のものであるらしい。


 ◆雷神は桑嫌い? 

 ところで、昔は雷が鳴るとあわてて蚊帳をつり、女や子どもはその中に逃げ込んで、

線香をつけ、「くわばら、くわばら」と唱えた。そうすると雷が落ちないという

呪(まじない)が信じられていた。それは昔ある時、雷神があやまって農家の井戸の中に落ちた。

それを知った農夫はすばやく井戸にふたをして、雷神を閉じ込めてしまった。すると雷神は、

「俺(おれ)は桑の木が嫌いだから、これから『桑原、桑原』と唱えろ。そうすれば二度と

お前のところには落ちないから、ふたをとってくれ」と言った。そこで農夫はふたをとって

雷神を天に帰してやり、以後雷鳴がとどろくと「桑原、桑原」と唱えるようになったというのである。


 ◆菅原道真領地名に由来説も

 また一説に、菅原道真は死んで雷神となり、生前の道真を陥れた藤原時平一族にたたったと

伝えられているが、道真の領地が桑原というところで、そこにはめったに落雷しなかったので、

こう唱えるようになったともいわれる。この「桑原」の呪文は狂言の小唄の中にも、

 ♪ イヤ、とどろ、とどろと鳴る神も、ここは桑原、よも落ちじ、よも落ちじ

と謡われているところからみて、かなり古くから使われていたようである。

 なお、蚊帳をつって中に入るというのは、雷すなわち放電を伝導しない繊維に囲まれた

安全な空間と考えたからでもある。この蚊帳の歴史は古く、『日本書紀』によると応神天皇の時代に、

中国の呉から蚊帳衣縫(いほう)という技術者が渡来し、以来宮廷で使われはじめたという。

このころの蚊帳は正絹製で、外蚊帳と内蚊帳とあり、外蚊帳は室内全体かまた部屋の入り口を

覆うもので、内蚊帳は寝床の部分だけを覆うものであった。

 この蚊帳が絹であるところに意味がある。つまり、絹は蚕の繭から作られるもので、

蚕は桑の葉を食べて生育する。したがって、桑原の桑と同じ呪力をもち、

その効力が倍加するわけである。蚊帳が絹製であった時代には、上流社会だけに用いられていたが、

室町時代に入ると麻が素材として用いられるようになり、一般にも広まっていく。さらに後になると、

木綿蚊帳が生まれるが、昔を思って麻糸をかならず一本は入れるという習わしを残している。

 こうしたところから桑から麻にまでおよび、雷が鳴ると「くわばら、くわばら」と唱えながら、

桑畑だけでなく麻畑に入りこんでも落雷にあわないというところがあるし、雷が鳴ると、

麻づくりをしている家では、交代で家族の者が出て雷電様や大日堂のまわりを、雷鳴がやむまで

回って歩くというところがある。雷電様すなわち雷神を祀るところは北関東に多い。

 また、雷が鳴ると家の前に農具のくわを立てて落雷除(よ)けにする風習もある。

それは桑原のクワの語呂合わせによるものであるが、実際には避雷針としての意味もあったようである。

 かつて、子どもが風呂あがりなどに裸で走り回っていると、「雷様におへそを取られるよ」と

よく脅したものである。それはへそが体内に宿る霊魂とつながっているという、

日本人の霊魂観にもとづいたもので、そこから生まれた脅し文句である。



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弱冠…40代では無理がある




 古代中国で、男子20歳を「弱」といって元服して冠をかぶるならわしがあったのにちなみ、

本来は20歳ちょうどの男性を指した。

 現在では、例えば、従来なら60代で就いていた役職に30歳で登用されたようなとき、

異例の若さを強調する意味合いを込めて「弱冠30歳で〜」などと使われる。

 語源を尊重して、20歳ちょうどでなければ間違いだとする意見もあるが、

そこまでこだわらなくてもいいだろう。

ただ、40代、50代にまで広げすぎると、さすがに違和感がある。



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村八分…村守る制約 厳しさにも趣




 仲間はずれや絶交したりする制裁のことを「村八分」にするという。

この言葉は現代人もよく知っており、十数年前までは新聞や週刊誌にもこの見出しの記事が

しばしば見うけられた。この「村八分」という言葉には、実に深い意味がある。

 もともと、村の生活というものは強力な共同体制が必要であった。

農業生産そのものがユイという共同労働、テマガエといわれる交換労働を必要としたし、

日常生活全般にわたっても助け合いが行われた。こうした村人の相互扶助と団結こそが、

封建体制の重圧に耐え得る唯一の道であった。そこでそうした結合を強固にするために、

また強固ならばこそ、かえってその秩序を乱さないために、いろいろの制約をつくったのであった。

 この制約すなわち掟(おきて)や、それに違反した場合の制裁は、村人全員が寄り合って

つくった慣習であり、制裁もその場かぎりの突発的な、加える側が一方的に決めたのではなかった。

そして、窃盗・暴行・失火などの刑事的犯罪、村規約の違反、共同作業の怠慢、村人全員で

決定した事項に対する違反などを対象としていた。そのさいの制裁執行も、村人の多数の意向に

従わぬ者を抑制するのが主目的であった。今日のように利害をめぐる意見の対立から

するということはなく、また、厳しさのなかにもある種の趣があった。


 ◆“交際十種”火事と葬式は除外 

 この制裁の名称には、村ハジキ、村ハネ、村ハズシ、村ハブキ、組ハブキ、同行バネ、郷バナシ、

仲間ハズシなど、ところによってきわめて多くの呼び名があるが、「村八分」という言葉が

標準的な呼び名になっているのは、やはりその制裁の仕方からきているのである。

つまり、「十分」にせずに「八分」にしているところに大きな意味があった。

一般に共同体としての村の主な交際には、冠、婚、葬、追善、出産、建築、旅行、火事、水害、

病気の「交際十種」があるとされる。そのうち、いくら村ハズシの制裁を加えても、火事と

葬式だけはこれから除外して援助するというところから、二分だけ外して八分にしているのである。

 火事というのは、貴重な村の共同財産の焼失である。住居は個人のものであるとはいうものの、

その建築にあたっては、専門的技術を要すること以外は、村人の共同労働に負うところが多かったし、

屋根葺(ふ)きもかつての草葺き、藁葺きの家では、村人全員が材料を持ち寄り、

共同で葺いたのであった。そうしたことからいうと、住居はまさに共同労働の産物であった。

 人が死ぬということもまた、共同体としての村の重要な労働力の減少であった。

したがって、葬式の場合も村全体で強固な葬式組を組織し、葬式全般を取り仕切るのが、

村生活の慣習であった。このさい葬式組は家人や親戚(しんせき)以上に重要な役割を果たした。

死を知らせる使いを立てること、葬式の諸道具をととのえること、穴掘り役を出すこと、炊事をすること、

遠方から弔いに来た親戚や知人などに宿を提供することなど、すべて葬式組の仕事であった。


 ◆制裁の程度も様々

 こうした「村八分」にされるような事犯を起こした場合、改悛(かいしゅん)の情が顕著と

認められれば、仲介人のあっせんでわび状を入れ酒肴(しゅこう)を提供して、

許してもらうこともあったという。若者組内でも「八分」があるが、

それは当人にのみ限定される場合と、当人の家族におよぶ場合とあった。

 なお、「村八分」にいたらない軽度の事犯の場合、説諭・罰金・謹慎などもあった。

また、違反者に赤ずきんや縄帯をつけさせて辱めたり、犯人にかたどった人形を処刑するという、

呪術性を帯びたものもある。また、沖縄に広くみられた例であるが、盗みをした者には、

木札を渡し、その者が次の盗人(ぬすびと)を見つけるまで所持させて罰金を取る制裁もある。

このように村社会における制裁、処罰にはさまざまな形態があった。



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Kioskの由来は



(Q)

全国どこでもJRの駅売店は「Kiosk」ばかりですが、由来はなんでしょうか。



(A)

 西日本キヨスクによりますと、Kioskはトルコ語で「あずまや」という意味です。

語源は、ペルシャ語の「宮殿」を意味する「コーシュク」になります。

73年に鉄道弘済会が駅売店の愛称として採用したもので、

「清く」「気安く利用して」の思いを込めて「Kiosk(キヨスク)」と名付けました。

 87年の国鉄分割民営化に伴い、キヨスクは全国6つのJRの子会社に引き継がれました。

現在、キヨスクでは平均500品目が扱われています。

 鉄道弘済会は32年(昭和7)に発足しましたが、駅売店は1872年(明治5)に

品川―横浜間で鉄道が仮営業を始めて1か月後に横浜在住の英国人が新聞を売ったのが最初です。







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