#25

茶柱…二番茶を売る広告戦略
ちょっと休憩するときに、「お茶にしようか」というのが今日も日常語になっている。
江戸時代に番茶が一般庶民の日常生活に取り入れられるようになると、飯時以外の小休みの
間食に茶が用いられ、朝茶・四つ茶・八つ茶などと呼ばれ、間食に欠かせぬものとなった。
だが、このお茶の歴史はきわめて古い。この原産は中国の雲南やインドの山地といわれ、
中国では漢の時代にあったといい、唐の時代に「茶」という字が用いられていたともいう。
日本では中国との交流が行われるようになって、奈良時代に茶を飲む風習が始まった。
そして、行基(六六八〜七四九年)によって茶の栽培が行われたとも伝えられている。
とりわけ遣唐使として唐に渡った僧が喫茶の風を移入してから急速に広まった。
唐の喫茶法は、異国情緒と唐文化へのあこがれから、誕生して間もない平安京の宮廷や
寺院で広く受け入れられたが、この時代の喫茶法は、茶の葉をついて固めた「団茶」をひいて
粉にし、それに湯を入れて煎(せん)じて飲む方法であった。
それに対して、茶の葉に湯を注いで飲む宋代の点茶法という新風を吹き込んだのが、
鎌倉時代の禅僧栄西であった。それを発展普及させたのが、京都栂尾(とがのお)の高山寺の
僧明恵(みょうえ)(一一七三〜一二三二年)であった。明恵の植えた栂尾茶をもとにして、
南北朝時代には畿内を中心に多くの茶の産地が生まれた。
なかでも宇治を産地とする茶は「宇治茶」という独自の名称で呼ばれ、すぐれた品質でもてはやされ、
その発展は目覚ましく、桃山時代には「天下の茶」というにふさわしい地位を確立した。
豊臣秀吉と千利休の時代に隆盛をきわめた茶の湯の世界は、まさに宇治茶によるものであった。
江戸時代には、宇治は幕府直轄の天領とされ、茶の栽培、加工にも強力な統制がしかれるようになった。
この時代の宇治茶の状況をよくあらわすのが「茶壺(ちゃつぼ)道中」である。
茶壺道中は将軍家御用の茶を、幕府の派遣する役人が宇治から江戸までいかめしい行列で運ぶ行事で、
三代将軍家光の時代からこの行事は制度化された。
◆駿河の商人が考案 病状好転の実例も?
一方、室町時代末期には京都の町衆のあいだで、あるいは郷村の農民のあいだで「茶寄合」が催され、
一味の茶を皆で飲み合って連帯感を強めるという、「一味同心」の結合の契機とされ、
庶民のあいだでの喫茶が盛んになった。これにともなって各地で茶の栽培が行われ、
東海道筋では駿河茶、九州では八女茶などが世に知られた。ことに駿河茶は、後世において
広沢虎造(二代目、一八九九〜一九六四年)が浪曲「清水次郎長伝」で、
「旅行けば駿河の国に茶の香り……」と詠じたように、その名は広く知れ渡った。
実はこの駿河から「茶柱が立つとよいことがある」という言い伝えが広まったといわれている。
では、なぜ茶柱が立つと縁起がよいということになったのか。それは昔、いつのことか明確ではないが、
駿河のお茶商人が、よいお茶はみな売れてしまうが、売れ残る二番茶を売りやすくするために、
「茶柱が立つと縁起がよい」と触れまわって、それが広まったというのが真相であるらしい。
確かに玉露や煎茶などの高級茶はぬるい湯をさし、時間をかけるから茶柱は立たない。
というよりも茶柱が無いのである。これに比べて葉の多い茶柱のついた番茶などは、
熱い湯でさっと出すから茶柱が立ちやすいのである。
この茶柱についての言い伝えも、色々なバリエーションがある。
「茶柱が立ったことを他人に言うと、せっかくのよい事が他人に移ってしまう」とか、
「立った茶柱は、他人に知られないうちに飲み込んでしまわなければならない」とか、
「茶柱はそっと拾い上げて、着物の左袖に入れておくとよい」などなどある。
しかしこんな実話もあるという。なかなか治らない病人の付き添いが、自分の茶わんに立った茶柱を、
そっと病人の茶わんに移しておいた。すると翌日から病状が好転して、
間もなく見ちがえるほど元気になったというのである。
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イルカとオルカの違い
(Q)
イルカとオルカの違いを教えてください。
(A)
和歌山県太地町立くじらの博物館に聞きました。
イルカもオルカもクジラ目の動物ですので、鯨の仲間です。
オルカは学名で、日本ではシャチという名前で知られています。
クジラ目の中で、体長が4メートルを超えるものをクジラ、それ未満のものをイルカと呼びます。
オルカの雄は7メートル以上ありますので、鯨に分類され、ゴンドウクジラ科に属します。
オルカもイルカも鯨の一種ですから、潮を噴き、水中では音で会話をします。
オルカは、全身の黒と白の模様と雄の大きな背びれが特徴です。
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0180、0570は何?
(Q)
テレビ番組でよく見かける「0180」「0570」で始まる電話番号、
ファクス番号は何なのでしょうか。「0990」のように高額の情報提供料や
通話料がかかるのではと気になり利用する気になれません。
(A)
郵政省によりますと、それぞれ特定の電話サービスの番号です。
0180は「大量受け付け機能」といい、この番号に同時に2つ以上の電話がかかった際、
同じ情報を提供する機能と、かかった電話の本数を集計する機能があります。
0570はかかってきた電話をあらかじめ決めた電話につなぐ機能をもつサービスです。
全国同じ電話番号にしておき、最寄りの営業所などにつなぐことができます。
通常は最初に「何秒何円です」とアナウンスが流れます。
これの無料版が「0120」で始まるフリーダイヤルです。
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続・デパート店員の食事
前回、松坂屋と三越の店員間で使用する食事の隠語を取り上げた。
今回はその他のデパートを見てみよう。
高島屋・京王・京成では「アリキュウ」と言う。「有休」と表記する。
『婦人画報』一九二八年八月一日号に「有休(食事)」とあり、
『週刊宝石』一九八二年六月二十六日号に「有休(高島屋、京王、京成)」とある。
以前に高島屋・京王・京成ではトイレの隠語を「ジンキュウ(仁久)」と書いたが、
「キュウ」が好きらしい。
大丸では「ギョク」と言う。「玉」と表記する。
右の『婦人画報』に「玉(食事)の飯は玉の様に尊ひといふ訳でせう」とあり、
右の『週刊宝石』に「ギョク(大丸)とくれば、食事の暗号」とある。
そごうでは「マル」と言う。『週刊宝石』に「マル(そごう)」とある。
西武では「ノジ」と言う。同誌に「のじ(西武)」とある。語源は不明。
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デパートの店員の食事
デパートの店員間で使われる食事についての隠語を取り上げる。
松坂屋では「キザ」と言う。
古く『婦人画報』一九二八年八月一日号に「キザ(食事)」とあり、
『週刊宝石』一九八二年六月二十六日号に「キザ(松坂屋)」とあり、
『経済界』一九九五年一月三十一日号に「松坂屋は業界用語・隠語の多い
百貨店の一つといわれる(略)食事は『喜座』。」とある。喜んで座るから。
三越は「キザエモン」と言う。「喜左衛門」と表記する。
『通人語辞典』(一九二二年)に「〔キザエモン〕(喜左衛門)三越店員同志の間に、
お腹(なか)のすいたことに云(い)ふ。
(略)昔駕籠(かご)屋などの間に用ひられてゐたとのこと」とあり、先の『婦人画報』に
「喜左衛門(食事)之(こ)れも余程前喜左衛門といふ賄(まかない)の人が居ましたので、
今でも店員の食事の事を、喜左衛門と言ひます」とある。
食堂の調理人の名前が語源であった。現在も使用されている。

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